東京日和(2)【レアンドロ・エルリッヒ展】疑問から芸術は生まれる/私の音楽には歌詞がない

わたくし、何度も言っておりますが、

現代アートが大好きでして、

東京へ行った際には必ず、「森美術館」に嬉々✨と向かいます

東京に住んでたら、もぉ〜〜そりゃ主のように通うやろうなぁ。。。

だって、時間が許すなら、展覧会を見ることだけの目的で東京へ赴きますから。

 

現在開催している企画展は、

➡️ レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル

 

 

一見どこにでもある見慣れた風景ですが、よく見ると、水がないのに舟が浮かんでいたり、人々がさまざまなポーズで壁に張り付いていたりと、その異様な光景に観客は驚きと違和感を覚えることでしょう。自分が見ていることは果たして現実なのか、という疑いを抱くとともに、いかに無意識のうちに習慣にとらわれて物事を見ているか、という事実に気付くのです。(森美術館HPから引用)

 

このテーマが秀逸‼️

作品は、現代アートに精通していなくても分かりやすく、

充分に楽しめるものばかりです(体験ができる作品もあります)。

 

 

 

自分が見ていることは果たして現実なのか、という疑いを抱くとともに、

いかに無意識のうちに習慣にとらわれて物事を見ているか、という事実に気付くのです。

 

この思考が天才。

芸術というものは、何かフッとした疑問をきっかに生まれることが多いと思う。

問題提起を「アート」にできる力が本当に素晴らしい。

例えばこういうの。


 

 

>制約への強い苛立ちを表現するとともに〜

 

出来上がった作品を見ると、

誰でも思いつきそうなもののように感じるのですが、

そうではない。

まず疑問を実際に「可視化」させ(形にする)

「タイトル」を付け、

「解釈」させることは非常に難しいことなのだと、

現代アートの作品を見て、いつも、そう思う。

私だって社会の様々な問題提起を

音楽にできれば最高なことですが、

むちゃくちゃ難しい!

何故なら!?

私の音楽には歌詞がのっていないからです!

歌詞があると、直接言葉に出来て分かりやすい。

見えやすい。

しかしいわゆるインストの曲は、

「音」で全てを表現しなくてはいけない。

これは不可能に近い(0ではない)。

 

 

そういうことを考察した時、

自分の無力さに、絶望にも似た感情を覚えたこともあります。

しかしこれが、

【映像と音楽】という表現方法を生み出しました。

ただ、私は本当に、ただのヒト(芸術家としての超凡人)なので・・・😥💦

疑問をアートにしたり、

問題提起を作品に出来る日が来るのだろうか・・・。

悲しいかな、怪しいものです。。。。

 

 

「いつか、そんな作品を制作したい!」

アホみたいやけど、真面目にそう思っています。

 

 

で、今は

「とにかく多くの人に私の映像と音楽で楽しんでもらいたい!

という想いから制作しています。

それもホラー(サイコ)やコメディーだと分かりやすいし、

私も2つとも大好きなジャンルなので、

それに照準を合わせています。

多分、まずそれが(楽しんでもらう)出来ないと、

問題提起がどうのこうの以前の問題だと思いますので・・(と、今は自分を納得させている😅)。

 

 

東京近郊にお住いの方は是非‼️‼️

この展覧会に足をお運び下さい❗️

絶対、得るものが多いですから(純粋に楽しいし 😀 )。

 

ちなみに、近年、私の尊敬する現代アート作家は以下です。

◆塩田千春

◆ミカ・ロッテンバーグ

この2人につきましては、国宝級の才能だと思ってます。

ミカ・ロッテンバーグは、映像インスタレーションを主にしたアーティストなんですが、

その映像はものすごく価値あるもの(だと思う)なので、

当然の如くYouTubeなどで全編は見られません。残念。。。

あとは

最近、メディアにもよく登場する。

◆スプツニ子

も好きです。

 

興味のある方はググって下さいね 😉 

 

続く