「卵が先か鶏が先か?!という案件」
素朴な疑問。
歌を作る時、
「歌詞」が先か?
「メロディー」が先か?
どっちなんだろう・・・?
人それぞれやり方はあるだろうが、
ベーシックな方法は・・どちらなのでしょう??
私の創る音楽には歌詞がない、
いわゆるインストルメント曲なので、
どちらが先ということはない。
しいて言うなら「タイトル」が先か、「メロディー」が先か。
そしてその答えは、「どちらもあり得る」。
【映像と音楽】を制作し始め、
この問題が浮上した。
「卵が先か鶏が先か」
言い換えると、
「映像(視覚)が先か音楽(聴覚)が先か」
音楽家が映画やCMなど、
メディアで使用される音楽の発注を受ける時は
「映像」ありきで「音楽」が創られる。
《その映像にあった音が欲しい》という注文だ。
しかし私の場合、
一人で映像と音楽を制作し、
その2つの要素が
1つに重なり合い初めて成立する
インスタレーションという芸術なので、
上記のような《映像にあった音》という概念があまりない。
言わば、「同時進行」で制作は進む。
同時進行って・・・カメラ回しながら
傍で
作曲するんですか???
そういう器用な行動は出来ない。。。当然ながら。
作曲もそうだが、
いつも私は
「イメージ」や「連想」
「文学(タイトルや言葉から触発)」
「感情」
「条件付きの場合はその条件内で」
(時間、調、楽器編成など)
などで、制作を進める。
そして映像と音楽の場合は以下。
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1)頭の中のスクリーンに大まかな映像が浮かべ、
その映像と並行して音楽の大筋をスケッチする。
2)その音楽を元に撮影する。
3)撮影では偶然の産物や、
予想以上の撮れ高が毎回期待される。
4)持ち帰った映像を見ながら、創造性を駆使し作曲。
映像確認⇄作曲(このループを繰り返す)
5)最終的には曲に映像を合わせていく。
音楽に合った映像がない場合は、追加撮影。
左脳的でもあり、
右脳的でもある作業の繰り返し。
一つ言えることは、
最初の時点で、
作品を大きく捉えられる
想像力がないと、
機械的なものになり、教育ビデオ的なものになってしまう・・。
それではアートとは言えない。。。
「アハ体験」も大切!
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『赤いハイヒール』はサイコサスペンススタイルの曲で、
ホラーやサスペンスは、
「脳への最高のエンターテインメント」だと思う(あくまで持論)。
日頃体験し得ないからこその、
「脳へのアプローチ」。
しかも怪奇芸術体験(そんな恐怖なものではないが。。)
ただ「怖いだろー、気色悪いだろー。」と言いたいわけではない。
(それならあからさまなスプラッタの方が話しは早い)
作品を見て下さった方には充分、通じていると思うが・・・(と信じたい)。
本日、YouTubeにアップした
『Water Etude』は、
映像はあまり動かしていない。
映像に(視覚)にあまり囚われず、
音楽に(聴覚)で「雨」「水」「瑞々しさ」を感じて欲しかったのだ。
でもまだまだ私の実力では・・・本位ない。。
一度、ご覧下さい。